冴え冴えとした月の光が、室内を埋めていた。あまり空が見えることのない、この地では珍しく、天からの光を余すことなく受けている。
いつも見慣れているはずの調度品たちが、まるで初めて見るもののように見えた。どこかよそよそしい空気を感じるのは気のせいなのだろうか。それとも私の心の有り様のせいなのだろうか。
答えの出ない問いを抱えたまま、窓から差し込む月の光に手を伸ばしてみる。しかし触れることができるわけでもなく、ただ自分の手を白く染めるだけであった。
それを見つめながら、私は彼と出会った時のことを思い出していた。あの時も月の輝く夜だったかもしれないと、今になって思う。周りの状況も霞んでしまうくらい、あの時、私には彼が光に見えた。
私を導いてくれる光。
未だ迷っていた最後の後押しをしてくれたのは、彼との出会いだったのかもしれない。そんなふうに思っていることを彼が知ったら怒るだろうか?それとも泣いてしまうだろうか?
年恰好に似合わず、彼にはとても幼いところがある。初めて外の世界に触れた子どものように、様々なものに興味を示し、よく笑い、よく泣いた。ついこの間も……と、その時の様子を思い浮かべ思わず笑みが零れてしまった。
一人でくすくすと笑ってしまってから、ふっと窓の外を見やる。
(もう……彼には会えないのでしょうか……)
窓に近づき、そっとガラスに手を添える。
闇夜を薄める月が、今宵は酷く無慈悲に見えた。
約束が果たされないかもしれないということよりも、もう二度と、顔を合わせることがないかもしれないというその事実が、心に影を落とす。
しかし、今の私には来年の、この月の夜を、待つだけの余力は残されていなかった。
(これを成し遂げるためだけに、私は今、ここに居るというのに)
何を迷っているのだろう。待ったところで彼が戻ってくる保証などどこにもない。本当ならばすぐにでも探しに行きたかったのに、そうしなかったのは全て今日のためではなかったのか。
(もしかして……彼は自分の居るべき場所を取り戻したのでしょうか……)
そうであるならば、それはとても喜ばしいことのように思えた。
(彼が戻らない以上、今後のことは予定通り彼女に任せましょう)
そう、頭の整理がついたところで 、控えめなノックの音が響いた。
「そろそろお時間です」
扉の向こうから、女性の声が掛かる。
「今、行きます」
廊下に立つ相手に声を掛け、脇に立てかけてあった祭事用の杖を手に取る。
背丈ほどもある細身の杖の、先端部分に取り付けられた青い石が、月の光を弾いて冷たく煌めいた。
――そう、私には迷う時間すら貴重なのだ。
扉に手を掛けようとして、その手を止め、後ろを振り返る。
室内には変わらず、切れそうなほどに冷たい光が満ちていた。
(もう、この部屋を見るのも最後なのですね……)
何とも言えない寂しさのような感情が込み上げてくるのを振り切り、今度は迷いなく扉に手を掛けた。