勇者様と魔王様 - 1/3

 

(前編)

 

 そう……俺は今、魔王城の前にいる……。

 名だたる勇者を輩出してきた村の中でも落ちこぼれだった俺だけど、ついにこの日が訪れた。
 魔王討伐に名乗りを挙げたものは何人かいたが、道中の数々の困難により次々と脱落し、何故か俺一人が残ってしまった。そして、ついにただ一人、城に辿り着くことができたのだ。

 ふと、もしかしてこれは夢か何かで、実際には、自室の暖かなお布団にくるまれて眠っているだけなんじゃないかと思えてきた。いや、むしろそうに違いない! と、思いっきり自分の頬をつねってみた。痛い。
「夢じゃない……」
 確かめるように口に出してみると、その実感が、鼓膜を通して体に染み渡るような気がした。
 抑えきれない高揚感のようなものと、少しの不安とが、ないまぜになって叫び出したいような気持ちに駆られる。その衝動をどうにかやり過ごし、深呼吸を一つ。
「……よし」
 平静さを取り戻した俺は、目の前に立ちはだかる城門……ではなく、その脇にある勝手口のような、小さな扉に手をかけた。
 ちょうど人が一人通れるくらいの大きさの扉は、ほとんど音もなく開いた。
「あれ?」
 いくら魔王城といえど、鍵もかけないのは不用心じゃないか? と他人事ながら心配しつつ、この場合はありがたく侵入させてもらうことにした。
 扉をくぐると、さすがに緑あふれる庭園とまではいかないものの、芝のような丈の短い植物が綺麗に整えられていた。その中央を、建物に向かって石畳が伸びている。俺はトラップを用心しつつ、慎重に歩き出した。

「おかしい……」
 特に何事もなく、至って平穏無事に建物の正面まで辿り着いた俺は、いわゆる城の正面玄関とも言える扉の前で立ち尽くしていた。目の前にそびえる扉を、上から下まで睨みつけるように見るも、怪しい気配は微塵も感じなかった。よくよく見ると、細かな蔦の模様が彫られているようだ。
「このまま突っ立ってても、この蔦模様が急に動き出したりするわけないよな……」
 自分で言っておいて、あまりの馬鹿馬鹿しさに呆れてしまう。
 もう進むしかない。腹を括った俺は、目の前の両開きの扉に手を伸ばしたが、その指先が触れるか触れないかのところで、扉は滑るように開いた。
「うわっ!」
 虚をつかれた俺は、前につんのめりそうになる。なんとか顔面から床に突っ込むのを回避したが、体勢を崩してよろよろと2、3歩踏み出し、あっけなく侵入に成功してしまった。やけにあっさりと事が進んでいて、逆に何か裏があるのではと勘繰ってしまう。
 とはいえ、このまま動かずにいたからといって、それが一番安全とは限らない。要は魔王さえ倒してしまえばいいんだ! と、簡単に考えてみることにした。
「魔王といえば……最上階か?」
 足元から続く緋色の絨毯は、そのまま2階への階段に続いていた。恐る恐る踏み出した足が、しっとりと吸い込まれていく。一体幾らくらいするんだ……などとどうでもいいことを考えてしまうほどに高級感溢れるそれを一歩、また一歩と踏みつけながら階段を目指すも、相変わらずなんの気配もしない。もしかすると魔王一味は旅行中か何かで留守なのではないかと少し不安になってきた。その場合、これはもしかしなくても空き巣というやつではないのか?
 そんな考えが頭をよぎり、思わず足を止める。
「勇者たるものが空き巣か……」
 あらためて考えると嫌な響きだ。亡くなった両親や、村に残してきた妹にも顔向け出来ない。いくら落ちこぼれの勇者だとしても、このようなことをしてまで名声を得ようとは思わない。
 だが世界平和の為には、ここが悪の巣窟である以上、引き返すわけにはいかない。たとえ空き巣まがいのことをすることになっても、少しでも敵の根城を暴くことは大切なことだ。そう自分自身に言い聞かせると、俺は再び階段を目指した。

 階段へも難なく辿り着き、そのまま上を目指す。時折足を止めて周囲の気配を伺うが、先程までと変わらず、おかしな気配は皆無だった。
「しかし、こういうところはもっと怪しげな像とか壺とかが飾ってあるものかと思ってたが……」
 これまでの道のりで、特にそのようなものは見当たらなかった。緋色の絨毯と、等間隔に設置されている照明器具以外は何もない。手すりなどの装飾も最小限で、質素すぎるくらいだ。
「絨毯に金をかけすぎて買えなかったのかな……」
 俺は何故か魔王の懐具合まで気にかけつつ、もし本当にそうだったらせめて絨毯を褒めるべきか、あえて何も触れないほうがいいのかが少し気になった。実際に対峙するとなれば、そんな余裕などないだろうが。
 黙々と階段を登り、いったい何階まであるのかと頭の隅でちらりと思った直後、階段が途切れた。
「ようやく最上階か……?」
 ぐるりと周囲を見回してみるが、廊下に並ぶ扉が開くような気配はない。知らず知らずのうちに緊張していたのか、思わず息が漏れる。あらためて立ち並ぶ扉たちを眺めてみた。まずは適当な扉を開けてみないと始まらないか……。
 こういう時は一番豪華そうな扉が怪しいはずだが、一見して他と違う扉はなさそうだった。とりあえず俺は手近な扉を開けてみることにした。
 左腰に吊った剣の柄に手を掛け、慎重に引き抜く。軽く身体の前で構えると、自身の緊張した面差しが一瞬映り込んだ。それを見てほんの少し肩の力が抜ける。切先を下ろし、一呼吸ののち、空いた方の手でドアの取っ手に手を伸ばした。ちょっと触ってすぐに引っ込めたが、炎が噴き出したり、毒針が仕込んであるといった様子はなかった。再びそろそろと手を伸ばし、ゆっくりと、出来るだけ音を立てないように、取っ手を回した。
 慎重に扉を開いていくと、徐々に部屋の中の様子が露わになってゆく。
 室内は、窓から射し込む光で思いのほか明るかった。扉の対角線上に、窓を左手側にして壁際の机に向かう女性が一人居る。魔族には珍しい金の髪に、俺は一瞬面食らってしまい、咄嗟に動けなかった。と、気配を感じたのかその女性が振り返り、取っ手に手を掛けたまま立ち尽くしている俺と目が合った。淡いブルーの瞳に相対し、俺はますます困惑する。
「あああの……えっと、こんにちは!」
 どうにか声を絞り出そうとして、何故か挨拶してしまった。
 するとその女性は一瞬驚いたような表情を見せたものの、一拍を置いてやや苦笑気味に立ち上がった。こちらへと足を向けながら口を開く。
「こんにちは。こんなところでどうされましたか?」
 柔らかな声が、この魔王城という場所に酷く不釣り合いな気がして、どことなく落ち着かない。もしかして俺、間違えてお隣さんの家にでも侵入してしまったのか?
 そう考えると得心がいった。魔王城にしては不用心すぎるし、何より質素だった。つまりはなんの関係もない一般魔族の家に不法進入ということだ。なんたる失態、勇者失格だ。慌てて姿勢を正す。
「大変失礼いたしました。どうやらお宅を間違えたようです。ごめんなさい」
 勇者たるもの、過ちに気付いた場合は即座に謝ること。勇者教本のなかにも書かれている。俺は深々と頭を下げた。
 俺の頭の中でお隣さん疑惑が急浮上しているうちに、あと数歩で俺の前に到着するところだった女性が、驚いて立ち止まったような気配を感じる。足音が消え、辺りに静寂が満ちた。実際には瞬きする程の間だったのだろうが、俺は死刑宣告を待つ囚人のような心持ちでいたため、永遠に続くかのように思えた。
「どうぞ頭を上げてください。せっかく来ていただいたのですし、もしよろしければ、ご一緒にお茶でも如何ですか?」
「はぁ……へぇっ!?」
 その後、口を開いた彼女の言葉は俺の想定を超えていて、思わず素っ頓狂な声が漏れる。驚きのあまり勢いよく頭を上げると、そこには和かに微笑む女性の顔があった。